とあるおっさんの戯言

妻と二人、二人の子供に一生懸命。

人の重み、言葉の重み

人の重み、言葉の重み

 

重要なのは誰が言ったかでなく、

何を言ったかではないのか。

 

こんばんは。

 

誰かに何かを言われた時、その人を見る。

その人の言うことは、聞くに値するかどうか。

その人の普段の行いはどうか。

そういったことで、その人の言葉を判断する。

 

これは、致し方ない事なのかもしれません。

 

あの人が言う言葉だからちゃんと聞いておこう。

あの人の言葉は話半分でもいいや。

 

言葉とは、その人の経験から発せられるもの。

言葉だけ取り繕っても、言葉には重みが生まれない。

その人の体の奥から生まれた言葉でなければ、人には響かない。

そういうことなのかもしれません。

 

しかし、言った言葉が受け入れられなかった側は辛いです。

どんなに正しい事を言おうとも、どんなに素晴らしい事を言おうとも、受け入れられない。

それは人格の否定とも言える残酷な事なのかもしれません。

 

最近、下の息子のワガママが度を越してきました。

何が気に入らないのか、機嫌を損ねるとすさまじく抵抗をします。

先日の出来事はこうです。

 

我が家では僕もカミさんもゲームに否定的でない為、ゲームに対しては比較的寛容です。

しかし、食事中や出掛ける前、朝などは禁止にしています。

遊ぶ時は遊ぶ、食べる時は食べる、準備する時は準備する。

そのメリハリをしっかりとしたいと、子ども達にも言い聞かせています。

その日は食事が出来たからゲームをやめなさいという言葉に、息子は反抗的でした。

 

「ご飯出来たからマイクラ止めてご飯にしよう」

 

上の娘はすぐに止めて食卓に着きます。

しかし、息子は反応しない。

 

「マイクラ止めて片付けて」

 

返事をしない。

数回の声掛けに反応しない息子に対して、イラついてきます。

 

「何故、返事をしないの?」

 

怒ってはいけない、怒ってはいけない。

怒ったところで、その時だけ委縮するだけで、なんの解決にもならない。

ちゃんと、話をしなければならない。

そう自分に言い聞かせます。

しかし、息子からは反応がありません。

もう一度言います。

 

「ご飯出来たからマイクラ止めてご飯にしよう」

「ママが言わないとダメ」

 

頭に血が上るのが自分でもわかりました。

 

「なら、食べなくていい」

 

絞り出した言葉はそんな言葉でした。

はらわたが煮えくり返るというのはこういう時に使う言葉なのでしょう。

自分の気持ちを落ち着けるのに精一杯でした。

 

ああ、自分はまだ大人になり切れていないのかもしれない。

カミさん曰く「気にしても仕方ない。諦めろ」。

諦めて、ママが言うなら話を聞くなら、ママに言わせろ。

そういうことだというのです。

 

そういうことなのか?

 

カミさん曰く「なに怒ってんの? 自分の話を聞かないのがそんなに許せないの?」。

 

許せませんね。

息子はご飯の時にはゲームを止めなければいけないことは理解している。

ちゃんとそれは分かっている。

でも、僕が言った言葉は聞かない。

嫁さんの言った言葉なら従う。

 

なぜ、これに怒りを覚えないと思うのか。

僕の感覚が何かおかしいのか。

どうしても、理解が出来ませんでした。

もう30も後半のおっさんなのに、4歳の子どもにこんなにも怒りを覚えなければならないとは、、、

そう思うとなんだか泣けてきます。

 

最終的にはカミさんが息子にちゃんと話し、一連の出来事に対して、何がいけないのかを説きました。

 

なぜ、ご飯が出来たらゲームをやめなければいけないのか。

なぜ、人の言葉を無視してはいけないのか。

なぜ、人に寄って態度を変えてはいけないのか。

 

果たして理解をしているのかは分かりませんが、一応ごめんなさいと謝られもしました。

しかし、どうしても考えてしまうのが、冒頭に書いた、

 

「誰かに何かを言われた時、その人を見る」

 

ということ。

今の状況では、息子は僕の話を聞かなくてもいいと考えていることになります。

どうしてこうなったのか。

もちろん、ちゃんと話を聞くときもあります。

ただただ機嫌の問題だったのか。

そうであればまだ救いもありますが、このままでは成長と共にさらに態度が悪化するのではないか。

どうしても、そう不安がよぎります。

 

話を聞くに値する人間になること。

それは大人になれば誰でもなれることではないかもしれません。

その人にとって重要な人間になるということ。

親だからといって、必ず子どもにとって重要であるとは限らないのかもしれません。

 

大切なのは、誰が言ったかではなく、何を言ったかではないのか。

 

それは確かにそう。

しかし、一方で、ちゃらんぽらんな人が真面目を説いたところで、響きません。

真面目な人が真面目を説くことで、響くことがある。

ちゃらんぽらんな人が、過去のちゃらんぽらん失敗談を話すことに重みがある。

 

言葉にはその人の重みもそのまま乗ることになる。

 

僕も、もう一度自分を見つめ直す必要があるかもしれません。

子どもだからと侮らず、真摯に向き合うこと。

ダメなものはダメ。良いことは良い。

怒りに溺れず、冷静に大人らしく。

そうやって子ども達と向き合わねばならない。

そう感じる、今日この頃です。

 

 

それではまた。

 

 

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立派な父親になるのは難しいものですね。