とあるおっさんの戯言

妻と二人、二人の子供に一生懸命。

ありのままの言葉をそのままに

お願いだ。

どんなことでもいいから。

 

 

こんばんは。

 

休みの日。

娘と二人、リビングで並んで勉強していると、後から息子もやってきて勉強を始めました。

それはとてもいい。

自分もやろうと自ら動くことは素晴らしいことです。

 

でも、自分のノートを広げる際に、僕が広げている参考書に隠してしまう。

 

なぁ、そんな風にしたら、パパ見えなくなっちゃうじゃん。

 

その僕の言葉で、フリーズする息子。

言葉を発することなく、無為の瞳でこちらを見つめるだけ。

 

え?

なんで?

 

いや、そういう風にしたら、パパの見えなくなっちゃうじゃん。

 

もう一度、息子の顔を見て話す。

それでも無言のまま。

え?

どういうこと。

 

理解が及びません。

いったい何を考えているのか。

何も考えていないのか。

この無言の状況はなんなのか。

何故、シカトなのか。

その目はどこを見ているのか。

色の消えた瞳。

 

人のやっていることは邪魔しないようにしないと。

邪魔しちゃったら、謝ることくらいしないと。

 

「、、、ごめんなさい」

 

絞り出すように、、、ではなく、言われたから言ったという感じ。

 

それは意味があるんかね。

そして、そのままフリーズしたまま。

 

この状態では、何を言ってもダメ。

それは分かってる。

というわけで、しばらくそのまま見守る。

見守るけども、何も進まない。

とりあえず、少し離れる。

しばらくすると、動き出した。

でも、それだけ。

まるで、何もなかったかのように。。。

 

これではダメな気がする。

そう思いました。

 

人は何かをしている時、邪魔をされたら、嫌な気持ちになる。

程度にもよるかもしれないけど、わざとじゃなくても、うっかりでも、「ごめん」とか「失礼」とか言葉にする。

そういうのは大事だと思う。

もしかして、そういうのが分からないのだろうか。

 

というか、そんな些細なことで、、、

と思われるかもしれないけど、そういう細かいことへの気配りは社会で生きていくなら絶対必要になる。

それは分かって欲しい。

 

少し、いやらしいけど、目には目を、、、か。

 

しばらくして、テレビでゲームで遊び始めた息子。

ちょっとしてから、チャンネルを変えてみた。

 

「これ、オンラインで、他の人にも迷惑かかるんだけど!!」

 

凄い、勢いでしゃべる。

なるほど、他の人への迷惑という感覚はあるのか。

 

他の人への迷惑?

そういうの分かるの?

 

僕のその言葉に、息子はまた無言になりました。

 

やってることを邪魔されるとどう思うの?

嫌な気持ちにならないの?

パパは今、すぐに言葉を返しちゃったけど、、、

もし何も言わないままで、黙ってたらどう思う?

意味わからん、てならない?

 

無言は続く。

失敗した。

すぐに言葉にしたら、再現にならない、、、

ここは黙って反応を見るべきだった。。。

 

でも、仕方ない。

このまま進むしかない。

 

無視をするのが一番ダメだと、パパは思う。

何を考えているか分からないから。

どんなことでもいい。

言葉にして欲しい。

思っていることをそのままでも、取り繕ってもいい。

とにかく話をして欲しい。

どんなことを言っても怒らない。

 

そう伝える。

 

罵詈雑言や暴言であっても、注意はするけど、怒らない。

今のうちになんでも言葉にして、失敗したらそれでもいい。

良くない言葉や、言っていいこと悪いことはいくらでも教える。

外の世界では口は災いの元なんて言葉もある。

でも、ここにはパパと家族しかいない。

いくらでも失敗していい。

失敗して、そこから学んでほしい。

 

そう、伝えました。

 

あのさ。やってること邪魔されたら、嫌な気持ちにならない?

 

改めて、息子にゆっくりと聞く。

そして、ようやく息子が口を開きました。

 

「ものによっては邪魔にされたらヤなこともある」

 

???

 

それは、どういうこと?

何かやってても、邪魔されても別にいいってことがある、ってこと?

 

「そういうものもあると思う」

 

あると思う?

パパはあなたに聞いているんだよ。

邪魔されてもいいものがあるんじゃないの?

具体的に何なら、邪魔されてもいいと思えるの?

パパには想像がつかないから、教えて欲しい。

 

「面白そうだなって始めて、そうでもなかったこと」

 

そういう概念的な説明じゃなくて、具体的なことを教えて。

なんかのゲーム?

そんな、邪魔されてもいいなんてことあるの?

 

「えっと、、、」

 

言葉はない。

 

邪魔されていいことなんて、パパはないと思う。

これだったら邪魔されてもいいなんてことを人は始めないし、始めても邪魔される前に多分やめる。

あなたにも思い当るもの、ないんじゃないの?

 

「、、、分からない」

 

???

分からない?

パパは別になぞなぞを出しているわけじゃないんだよ。

あなたが、邪魔されていいものがあるならあるし、ないならないじゃないの?

 

「、、、ないと思う」

 

そういう時は、ないと言うんだよ。

だってないんでしょ。

他の人のことを聞いてるんじゃないんだから。

あなたがないと思ったのなら、それはないんだよ。

 

そして、息子はないと答えました。

やってることで邪魔されていいなんてものはないと。

これは、言わせてしまったかもしれない。

でも、最後は自分の言葉で話してくれたようにも思えました。

 

子育ては難しい。

子ども達は子ども達で何かを考えている。

でも、伝えてくれなければ伝わらない。

それは僕も同じ。

伝えなければ、伝わらない。

言葉にしなければ分からない。

 

だから、言葉にして欲しい。

言葉にしてくれたら、分かる。

僕の考えと違えば、伝えられる。

使っちゃいけない言葉も教えられる。

一言多かった時、相手にどんな印象を与えるかも説明できる。

 

だから、今は思うように。

ありのまま、話してくれればいい。

ここは、あなたの家なんだから。

ここで練習して、そして学んでくれればいい。

 

そう伝えたら、分かってくれたように思えた。

これからはきっと僕の胆力も試される。

でも、NOコミュニケーションよりよっぽどマシだと。

そう確信しています。

 

それではまた。

 

 

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普段は何でも喋るのに、何か注意するとだんまり。

それをどうにかするための試行錯誤は、まだまだ続きそうです。

 

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怒られると子どもはフリーズする。

そういうものだとは分かってる。

フリーズした後になかったことにしないのが大事なんだと思う。

 

褒められる大人になれるように

褒められたい。

誰か、手放しで褒めてくれませんか。

 

 

こんばんは。

 

子ども達が夏休みに入りました。

これから8月下旬までの長い夏休み。

大人からすると羨ましい限りですが、無為に過ごすとあっという間に終わってしまう。

出来る限り、有意義に過ごして欲しいものです。

 

とはいっても、自分の小中学校時代を思い返してみても、人に胸を張れるような夏休みを過ごしていたかといえば、そうでもありません。

どちらかというと、ダメな方だったかなと。

小学校の頃に何をしてたかといえば、ただただ遊びまわっていたように思います。

中学校になると部活ばっかりだったかなと。

宿題はやってたけど、別に計画的でもなかったなと。

 

勉強は学校から出た宿題をするくらいでしょうか。

そう思うと、子ども達は僕なんかよりもよっぽど真面目に毎日を過ごしているようにも思います。

嫌々かもしれませんが、ちゃんと課題を設定して、取り組んでいるのですから。

 

土日は、子ども達と一緒に勉強をする。

そんな風に決めてそれなりに時間が経ちました。

始めるまでは「ちょっと待って」となかなか始まらないけれど、始めればちゃんとやる。

少し前までは始めてからもダラダラと全然進まなかった。

それを思えば、今はそうやって少しずついい方向に向いていると思う。

 

だから、僕もあまり口出さず、分からないところだけ、一緒に考えるようにしようと。

そんな風になりました。

いっそ、僕も僕の勉強をしようと、子ども達と一緒に勉強をする。

これはこれでいい形かなと。

 

やりたくない勉強。

嫌々でも、始めれば、一緒にいてくれる。

頭ごなしに「やりなさい」ということをやめ、「さ、一緒にやろ」と声を掛ける。

始めるまで、時間が掛かってもいい。

なかなか始めないからとイライラしない。

大きい声や強い言葉は使わない。

自分の子ども頃を思い出せ。

自分だってそんな大して勤勉でもなかった。

 

構ってくるウザい親。

そう思われてもいい。

子ども達にはいい人生を送って欲しい。

だからこそ、口うるさくなってしまう。

それは仕方ない。

だけど、それはイライラからの言葉ではダメだ。

 

器を大きく。

見守るように。

ゆっくり呼吸を。

 

大丈夫、この子たちはきっと大丈夫。

そうやってまずは信じることが一番で。

たとえ思い通りに行かなくても、それは当たり前。

だって、この子たちは僕ではないのだから。

僕の思い通りになるわけがない。

 

よくやってるじゃないか。

 

夏休みにちゃんと勉強してるんだから。

それは褒めてあげるべきじゃないのか。

そうすれば、子ども達も取り組んでよかったなと、そう思ってくれるんじゃないかなと。

 

そして、そこに思い至れた僕のことも、褒めてください。

なんちゃって。

 

 

それではまた。

 

 

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悲しいかな、妻は褒めてはくれないようです。

ま、あとでAIにでも褒めてもらうかな。

 

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言葉狩りとはまた別の視点で

言葉そのものが持つ力。

それは言葉の使い方にもよる。

 

 

こんばんは。

 

2026年7月9日。宮城県高校野球連盟が野球で使われる「殺」や「刺」、「死」「盗」「犠」などの過激な表現を含む野球用語の使用を見直すため、検討委員会を設置することが明らかになりました。

関係者によれば、代替の言葉を検討し、来春にも各校の指導者に結果を伝える予定だそうです。

 

たとえば、刺殺。

打者のサードゴロをサードが捕球して、一塁手に送球してアウト。

一塁手に刺殺が記録されます。

 

たとえば、死球。

ピッチャーが打者に対して、ボールを当ててしまうデッドボール。

 

これらの言葉は話し言葉で使われているというより、記録としての書き言葉で使われているイメージです。

記録に使用する言葉は短くて分かりやすい言葉の方がいい。

そういった意味では、分かりやすい言葉だとは思います。

 

しかし、今回、宮城県高校野球連盟の理事らは、

 

「高校球児たちが『刺せ』や『殺せ』という授業では使わない不適切な言葉を使うのはおかしい。

 教育現場にふさわしい言葉に変えていく」

 

とし、結果次第では県大会の公式記録なども改める方針だと言うことです。

 

たとえば、犠牲フライ。

長打を放ち、外野手が捕球後、走りだした三塁走者が本塁に生還。

自身はアウトになっても、仲間と協力して、チームで得点を挙げる。

この流れを犠牲フライ以上に表した言葉を考えるのは、かなり大変です。

 

まず、今までの固定観念と先入観が、新しい言葉の創設の邪魔をする。

そして、自分を犠牲にするという言葉の代替がそもそも見つからない。

 

アシストフライでは、弱い。

では、得点貢献フライとかはどうか。

いや、そういう役割なんだから、ミッションフライか?

でも、それだとちょっと意味が分からない。

そもそも、このフライだって、相手のエラーがあれば、犠牲にならなくていいのだから、最初からじゃなくて、結果的に犠牲になっているともいえる。

全部の言葉にこうやって検討を重ねるなら、月1回の理事会ぐらいでは全然進まない気がします。

 

というか、そもそも、犠牲という言葉を使わなくとも、やっていることは同じで、その言葉を変えることに何か意味があるのか。

加えて、記録上のスペースの問題。

「死球」や「捕殺」などこれまで2文字で済んでいた記録を「デッドボール」や「送球アウト」などに変えるのか。

現場から不満の声が聞こえてきそうです。

 

そして、そもそも疑問として、高校野球児の大会ではベンチや客席から「刺せ」や「殺せ」という言葉が飛び交っているものなのでしょうか。

「刺せ」はまだしも、「殺せ」と怒号が?

球場はそんな物騒なところでしたっけ?

 

どこかの地下闘技場ですか?

 

今回の件、言葉を使う一人の表現者として言わせていただけるのであれば、、、

 

言葉は表現であり、そのものに罪はないと。

 

刺殺、盗塁、捕殺、死球、言葉だけ見れば、確かに物騒です。

だが、これまで培われてきた高校野球の教育はそんな言葉の見てくれに侵されるほど、やわなものなのか。

チームメイトと苦楽を共にし、同じ目標に向かって汗を流す。

時に涙し、時に喜び、そこで培われた教育は、そんな言葉尻に覆されるものではないのではないか。

そんな風にどうしても思ってしまいます。

 

しかし、一方で、確かに野球の用語は物騒な言葉が多いのもまた事実。

サッカーやバスケットボールも同じ対戦球技ではありますが、「殺」や「死」が使われている用語はありません。

バレーボールではスパイクで得点を取った後などに「ナイスキー」という掛け声を耳にしますが、あれば「Nice Kill」の略。

得点する、相手を仕留めたことを賞賛する言葉。

そういう意味では、対戦型の球技では「殺」という意味の言葉は昔から使われてきたのかもしれません。

でも、それくらいのもの。

そう考えると、確かに野球用語にはそういう漢字が使われ過ぎているかもしれない。

もしかすると、そういった危惧を感じての今回の流れなのかもしれません。

 

言葉は表現。

大切なのは、どんな気持ちで使っているか。

しかし、一方で、言葉の意味に気持ちが引っ張られるケースもある。

野球用語の「刺殺」を使い続けることで、実際に人を刺し殺すことにためらいを持たなくなるかもしれないーーというのはあまりにも飛躍し過ぎですが、汚い言葉を使い続けると心まで汚れていくということもある。

 

同じ意味なら、なるべくいい言葉を使って欲しい。

 

そういうことなのかもしれません。

しかし、今回のニュース、報道によると、否定的な意見が大多数だそうです。

 

「言葉狩りに何の意味があるのか」

「だから野球離れが起こる」

「バカじゃねぇの?」

 

確かに、そう取られてもおかしくない。

でも、もしかしたら、当事者たちには野球用語だけにあまりにも溢れるあまり良くない漢字を少しでも減らしたいという、そんな気持ちがあるのかもしれない。

 

この試みは、いばらの道です。

 

今ある言葉を変えるのは難しい。

だって、それにずっと慣れ親しんできたのだから。

急に変えると言ったら、反感が出るのは当たり前です。

 

でも、別の視点で見て、もしかしたらそっちの言葉の方がイイネってなったら、、、

その時は、それを喜んで迎えられたらなと、そう思います。

 

 

それではまた。

 

 

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願わくば、変えたいと動き出した熱量が消えてしまわないことを。

一番ダメなのは誰も納得しない変な用語が生まれること。

 

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伝えたいことがあるんだ

でも、それはとても難しい。

それが言葉だけならば、なおさらだ。

 

 

こんばんは。

 

人に何かを伝える時、人は言葉を使う。

説明する時、

希望を伝える時、

危険を知らせる時、

多くの時、人は人に対して声で伝える。

 

でも、言葉だけでは、なかなかに難しい。

 

何かを伝えようとした時、人はまず、それを頭の中で言葉にします。

でも、伝えたい内容をちゃんと言葉にできない場合もある。

例えば、エプロンをつける時、紐を腰の後ろで蝶々結びにすることを、言葉だけで伝えるのはとても難しい。

 

後ろ手で、紐を一回交差して、右手の紐を一回くるっとして、その根元で左手の紐で輪っかを作ってから、右手の紐をその根元に巻き付けて、そこにできた隙間に右手の紐を折るようにくぐらせて、左手でその右手の紐を引っ張るんだよ。

 

???

 

言っていて、自分でもよく分からなくなる。

言葉だけでは説明できない。

だから、実際にやって見せる。

 

ここを、こうして、こうしてから、こうね。

 

最初は見せて、今度は僕のやるのを見ながら一緒に。

そして、一回できれば、次はもうできる。

 

でも、できたとしても、それを誰かに伝えられるかというのはまた別。

 

だから、人は言葉以外も使う。

実際にやって見せたり、写真や映像、図解を使って。

そのすべては伝わりやすくするため。

 

やってみせ、言って聞かせて、させてみて、

ほめてやらねば、人は動かじ。

 

これは、旧日本海軍で連合艦隊司令官を務めた山本五十六氏の言葉ですが、今でも部下の育成や子育てなどの指針として度々登場します。

耳にしたことあるという方も多いのではないでしょうか。

 

言葉で何度も何度も言っても、それをちゃんと伝えることは難しい。

やって欲しいことをちゃんと見せたり、一緒にやったりしないと、何度も不本意な結果になる。

 

何度言ったら分かるんだ。

 

ついつい、子ども達に言ってしまう言葉。

でも、分かっているのは僕だけで、ちゃんと伝わっていないのかもしれない。

何度言ったって本人がちゃんと理解するまで付き合わなければ、いつまで経っても伝わらないままかもしれない。

 

言葉だけでなく、見本を見せて。

見本を見せながら、言葉で説明して。

 

それでも、100%伝わるかはわからない。

自分では伝わると思っている言葉が、相手にもそうだとは限らない。

違う意味で取られてしまうかもしれない。

 

「ちょっとスーパー入ってカレー買ってきて」

 

買ってくるのはルゥでしょうか。

どこのメーカーのやつでしょうか。

それとも、レトルトカレーでしょうか。

もしかしたらカレーライスのお弁当かもしれない。

いや、実は鰈と言っていたかもしれない。

 

言葉だけで伝えるなら、もっといろいろ伝えなければいけません。

可能ならば、買ってきて欲しいものを携帯に送って欲しい。

言葉だけでは忘れちゃうかもしれない。

 

でも、ついつい、省略してしまう。

いつも食べてるのはバーモンドカレーでしょ。

同じの買って来てよ。

 

頼む方はそう思っていたとしても、言わなければ伝わらない。

 

空気を読め。

察せ。

 

それができるなら凄い。

でも、それは100%になることはない。

もしかしたら、今日はジャワカレーの気分かもしれない。

 

カレーの種類が違うぐらいは何でもない。

でも、誰かに何か伝えたい時、それがとても大切なことならば、言葉だけではなく、言葉以外も使って。

 

人に何かを伝えるということは、それくらい真摯に向き合わないと、ちゃんと伝わらない。

自分の言葉はちゃんと伝わっているのか。

伝わらないのは、受け手だけの問題ではない。

伝える方もよく考えないといけない。

 

この言葉だけでいいのか。

その言葉は適切なのか。

何か見せられるものはないのか。

 

伝わらない原因は片方だけにあるわけではないのだから。

 

それではまた。

 

 

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それでもいつか、心に残る言葉で伝えられたなら。

そしていつか、大人になった子ども達から「あの時さ」と話してもらえたなら。

僕はきっと泣いてしまうだろう、なんて。

 

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伝える言葉は鏡にあたって返ってくるものだから。

 

 

 

煙たがられてもそばにいる理由

やだ。

一緒にやらない。

 

 

こんばんは。

 

めんどくさいことはやりたくない。

それは大人でも、子どもでも同じ。

違いがあるとすれば、大人はめんどくさいことはやらないともっとめんどくさいことになると知っているということくらいでしょうか。

子どもでもそれを知っている子は他の知らない子よりも一歩前に進んでいる。

そんな風に思います。

 

めんどくさいこと。

子どもにとってそれは勉強でしょう。

国語、数学、理科、社会、英語、得意不得意ありつつも、基本はどれもやりたくない。

勉強するくらいなら、何もしない方がいい。

できればずっとゲームとかしていたい。

多くの子ども達がきっとそんな感じでしょう。

我が子も御多分に漏れず、そんな感じです。

 

でも、勉強はしなければならない。

ゲームだけやっていてはいけない。

 

何故か。

 

それは大人になった時、後悔しない為なのだと思います。

時間は止まることなく、無慈悲に過ぎていきます。

学生時代という勉強を中心に時間を割くことが出来る時代。

自分が遊んでいる間、何もしない間に、頑張っている人たちは一歩も二歩も前に進んでいる。

 

「やってるよ」

「頑張ってる」

 

自分でやっている、頑張っていると言っても、それには結果を変える力はありません。

何故なら、やっている、頑張っている人は大勢いるのだから。

人の世は、むしろ、やっていて当然という世界。

やらない人から置いて行かれる。

 

しかし、僕がそれを実感できたのは、残念ながら大学卒業間近。

それなりに勉強して、それなりの成績で、それなりに色々活動して、充実した学生生活でした。

でも就活は大変で、自分の持っていたカードでは足掻いても足掻いても、希望した業界には入り込めませんでした。

夢を追うことから逃げて、生きるために仕事を選ぶ。

そんな気持ちの学生を取りたいと思う企業はいるわけもなく。

それに気付くのにも、だいぶ時間が掛かりました。

それでもようやっと、自分の気持ちを奮い立たせて、少しでも興味を持てる業界へ飛び込み、今の仕事に辿り着いたわけですが、今でも思うことがあります。

 

もっといろいろ頑張っておけばよかった、と。

 

あの時、遊んでなければ良かった。

もっと自分に厳しく、追い込むべきだった。

めんどくさいからと、まだ時間はあるからと、後回しにしなければ良かった。

 

今の仕事は仕事で面白いとこもあるし、達成感もある。

不満もあるけど、これまで築き上げてきたことを放り出して、辞めたいと思うまでではない。

でも、、、と思うのです。

 

もっと、勉強しておけばと。。。

 

今になって思います。

あんなに時間があったのにと。

親にお金を出してもらって、バイトもしてたけど、それ以外は一日のほとんどを勉強に使えるのに、勉強がめんどくさいと遠ざけていた。

普通のことをしているだけでは、普通になることすらも危うい。

そんな普通のことにも気付かずに、大人になったら、きっといろんなことが自然とできるようになって、自分のやりたい仕事をバリバリこなすようになるんだと。

 

夢想にもほどがあると。

 

でも、それも今だから言えるだけで、中学生や高校生の頃の僕に言ったところで、きっと

 

「わかってるよ(やってるし!)」

 

という反応をするだろうなと。

それは、仕方ないことなのかもしれません。

 

だから、子ども達にはそんな僕みたいな後悔をしてほしくない。

僕のその想いは子ども達にはちょっとウザいのかもしれません。

 

遊ぶのは勉強が終わってから。

午前と午後に2教科ずつ。

1教科1単元。問題集の2ページだけ。

集中して取り組めば、1教科30分で終わる内容です。

 

でも、勉強するくらいなら遊ばなくていいと言わんばかりに、部屋でずっと机に座ってるだけ。

何をしているのか。時々見に行っても遅々として進んでない。

 

「一緒にやろう。その方がさっと終わるよ」

「やだ」

 

何故なのか。

反抗期なのか。

こないだまでは一緒にやっていたじゃないか。

 

「だって、めんどくさいから」

 

何がめんどくさいのか。

親を使ってさっさと勉強を終わらせて、早くやりたいことをやれる時間にした方がいいじゃないか。

午後に何時間も、時間がもったいないよと。

 

そう言っても、機嫌が悪くなる。

やりたくないことは、ひたすらにやりたくない。

 

分かるよ。

でも、みんなそれを乗り越えているんだよと。

パパは嫌だよ、あなたが乗り越えられない側にいってしまうのは。

 

だから、一緒にやろうと。

めんどくさいならなおさら、短時間で終わらせようと。

 

なんとか一緒に取り組むことに。

でも、ずっと態度悪い。

あーじゃない、こーじゃない。

答えを書く字がどんどん汚くなっていく。

次の問題に進むたびに大きなため息。

 

誰のために、付き合ってると思ってるんだ、、、!

 

そんな思いが首をもたげる。

違う、これは僕のエゴなんかじゃない。

 

今やることで、いつかきっと良かったと分かる日が来るんだぞ、、、!

 

それは、僕の押し付けなのか。

違う、そんな恩着せがましい気持ちで始めたんじゃない。

だって、僕だって、やらなくて後悔した。

この子にもそうはなって欲しくない。

でも、むかつく。

こっちは歩み寄りたいのに、寄ると足蹴にしてくる。

むかつく。

 

むかつくのは、僕の思い通りにならないからか。

それとも、僕の気持ちを分かってくれないからか。

いっそ、もう好きにさせた方がいいのか。

その方がこの子たちは幸せなのか。

未来でも幸せになれるのか。

 

分からない。

揺れる。

でも、ここでやめたら親の責任の放棄じゃないのか。

 

勉強とは別のことでも頭が痛くなる。

それでも、なんとか、2ページを終わる。

45分。

1人でやるより全然早い。

でも、疲れる。

なんというか、心が疲れる。

 

好きなことだけやって生きていけるのは、世の中にほんの一握り。

そのほんの一握りの人だって、やりたくないことをやってそうなっていると思う。

自分の子ども達がそのほんの一握りになれるわけがないと切り捨てるつもりはないけれど、夢想して手放しで見守るほどの胆力は僕にはない。

結果は努力の後ろにしかついてこない。

しかも、全部競争だ。

 

人がどれだけ努力してるかなんて、他の人には分からない。

だから、自分自身で頑張るしかない。

 

それを子どもに分かって欲しいと行動すると、こうなる。

こうなってしまう。。。

 

若い時の苦労は買ってでもしろ。

 

この言葉はすごいと思う。

でも、それを理解できたのは大人になってから。

きっとこの言葉を作った人も、大人になってから作ったんだと思う。

そして、若い人達に言っては、煙たがられたと思う。

 

それでも、それを若い子に伝えたいという気持ちは僕にはよく分かる。

僕も今まさにそんな感じだから。

 

うん、煙たいよね。

ああ。

 

 

それではまた。

 

 

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「一緒にやるのがなんでそんなにやなのよ」

「理由なんかない」

「反抗期なんか?」

「もうそれでいい」

 

もうそれでいいって何なのよ、、、

めんどくさいけど、ここが僕の踏ん張りどころなんだろうな、、、

 

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ちょっと背中を押して欲しい時に観ると泣く。

 

誰かなんて人はどこにもいない

こんな仕事、誰がやったっておんなじだよ。

なら、あんたがやれよ。

 

 

こんばんは。

 

SNSで流れてきた霧原澪さんの小説「"誰でもできる仕事"をしていた私が辞めたら、会社が止まった」。

現代を舞台とした働く者たちの物語。

章ごとに主人公が変わるオムニバス形式。

読み始めると止まらない。

止まらなく、そして胸が震える。

震えながら、働くということを改めて考えてしまう。

 

誰でも出来ること。

それは確かにある。

働き始めたころには誰でも出来ることから始めるし、そもそも誰でも出来ない仕事が多数ある会社というのはいただけない。

その人しか出来ない仕事があるということは、その人がいなくなると、仕事が止まるということだ。

そんなことはない方がいいに決まっている。

 

でも、そういうことは往々にして結構ある。

すべての会社が分業制がしっかりしているわけではないし、個人の負担で仕事を回している会社があるのも確かだと思う。

 

このお客さんのことは僕が一番わかっている。

この辺の設計は私がしたから任せて欲しい。

この手の工事は俺の専門みたいなもんだ。

このデータを細かく整理してきたのは自分ですから。

 

自分が培ってきたもの。

これまでの経験。

そういったことが自分の力になっていく。

それは誰もがやっていることで、もしかしたら特別なことではないかもしれない。

自分で「僕の仕事は誰でも出来ることですから」というのはいい。

そういうつつましさは美徳だと思う。

 

でも、他人から

 

「君の仕事は誰にでもできることだから」

 

そういう風に言われたらどうだろうか。

そこに悪意がなかろうと、どんな意図があろうとも、それはきっと人を傷つけてしまう。

霧原澪さんの創り上げた物語は、それに気付くきっかけを与えてくれた。

これは、大袈裟でなく、僕のサラリーマン人生に大きなプラスを与えてくれたと思う。

 

幸いなことに、僕自身は

 

「君の仕事は誰にでもできる」

 

と言われたことはない。

でも、逆に僕自身が

 

「こんな仕事はやろうと思えば誰にだってできる」

 

と思ってしまっている。

 

材料単価の変遷を整理したデータ分析。

全文英語で届く登録更新依頼のメール。

現場でのちょっとした臨機応変な対応。

自分の担当ではない仕事まで頼まれることもある。

正直「言うのは簡単だけどさ」と言いたくなる。

分からないところを聞いても、そっちで確認してみてと言われればイライラもする。

 

でも、やろうと思えばできる。

そして、それは僕でなければできなかったかといえば、そういうわけでもない。

 

だからといって、それを「誰にでもできる」と言葉にされたらどうだろうか。

きっと、僕はそれを許せない。

 

だったら、お前がやれよ。

 

こっちは自分の仕事の合間に対応してんだぞと。

自分で言うのはいい。

でも、それを他人が言うべきではないと。

 

が、、、

僕は自分の部下にこんな風に話をしてしまっている。

 

「僕らの仕事は何も特別なことじゃない。

 誰にでもできることを積み重ねて形にしている。

 だからあんまり難しく考えることはない。

 誰にでもできることを自分の物にして欲しい」

 

と。

これはどうなんだろうかと。

自分なりには仕事のハードルを下げて、取り組みに前向きになって欲しいというつもりで言っていた。

 

ちょっとした企画も、

渾身のデータ分析まとめも、

部下に見せて、

 

「これは誰にでもできることだから」

 

と。

これはあんまりよくなかったなと。

 

「誰にでもできる」

 

では、今、できていない彼らは、誰なのかと。

誰にでもできるというものができていない今は、なんなのかと。

それは、彼らを傷付ける言葉であったのではないかと。

 

思いも寄らない考えに至り、愕然としました。

 

これは、ダメだと。

 

仕事に対して必要以上に身構える必要はない。

でも、難しいとこや面倒なこともある。

何十年やってたって分からないことはある。

それを乗り越えられたことは「誰でもできること」かもしれないけど、

それは「頑張ったからできるようになったこと」なのだから。

 

人は、誰にも認められないまま頑張り続けることはできない。

自分なりの達成感や、周囲に頑張りを認められることで、困難にも立ち向かえるのだから。

それを忘れてはいけないのだと。

 

誰にでもできるなんて言葉は他人はもちろん、自分にも使ってはいけない。

この言葉は毒にしかならない。

 

だから、僕は言葉を変えた。

 

「その仕事の参考にこういう資料がある。

 ここにはこういうことが書いてあるけど、内容は分かる?

 分からなかったら聞いて欲しい」

 

いまは分からなくてもいい。

聞いていいかも分からないかもしれない。

それを自覚し、尋ねることができれば、きっと仕事で自分の言葉で話すことができるようになる。

説明できれば、それは彼らの血肉となる。

 

「実はこのあたりのことがわかってないかもです、、、」

 

そうやって聞いてくれるようになれば、きっとお互いの成長になる。

そうやって彼らと共に僕も育つことができる。

どんな会社だろうと、そうやっていければ、きっと良い状況になれるはずだ。

 

誰にでもできる仕事で世界は回っている。

だけど、その仕事はどこかの誰かがいなければ回らない。

そして、どこかの誰かなんて人はいない。

 

いい機会に恵まれたこの出会いに感謝を。

 

 

それではまた。

 

 

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人と働くのって簡単じゃない。

 

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駆動限界

もう飲まない。

こんなんなるまで、もう飲まない。

の、繰り返し。

 

こんばんは。

 

お酒を飲みます。

でも、近頃ちょっと飲み過ぎている気がして、家での飲酒を控えてます。

平日帰宅後にビールが飲めないのはちょっと辛いですが、健康に気を使いたいなと。

ストレスを飲酒で解消しているつもりが、体調不良になってしまっては本末転倒なわけで。

ちょっと自主的に節制を。

 

が、外食や飲み会では飲みます。

飲み会では特に制限を掛けていません。

でも、最初は思ってるんです。

 

飲み過ぎないようにゆっくりと飲もう。

 

が、いつしか、ペースが速くなります。

酔いとともに歯止めが掛からなくなる。

気付けばめちゃくちゃ飲んでます。

 

で、翌日。

二日酔いです。

吐き気と頭痛と気持ち悪さとだるさと無気力感。

 

うっぷ。

 

休日は料理を積極的にやるんですが、二日酔いの日は何もできません。

 

立っているのも辛い。

かといって寝転がっても辛い。

ご飯食べたくない。

胃が鳴動している。

画面見れない。

音楽も入ってこない。

 

うっぷ。

 

「なんで、そんなんなるまで、飲むかね」

 

もうこんなんなるまで、飲まない。

 

「それ何回言ってんのよ」

 

何回も言っている。

出来ない。

でも、もうこんなんなるまで飲まない。

 

「まったく、、、」

 

毎回の妻とのそんなやり取り。。。

 

 

過去に学べ。

過ちを繰り返すな。

 

そういう意識は持っているつもりですが、お酒に関してはてんでダメ。

お酒が意思を簡単に篭絡していく。

 

たのしー。おいしー。もう一杯。

 

最初はいたはずの理性が、いつの間にか一緒にへべれけに。

 

ああ、頭が痛い。

 

 

それではまた。

 

 

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うっぷ。

 

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7年前の記事。

何も成長していない。。。