脳トレ ときどき 日常

頭の体操で脳の活性化を促します。たまに日常で感じたことも書きます。

権力を監視するメディアとメディアを監視する人々

権力を監視するメディアとメディアを監視する人々

 

勝てば官軍。

嘘でも広まれば真実としてまかり通る。

なんとなく似てる。

 

こんばんは。

 

アメリカのトランプ大統領が一部の地震に批判的な記事を「フェイクニュース」と非難し、「国民の敵」とコメントしたことに対し、8月16日にアメリカ国内の350社を超える新聞社が一斉に報道の自由を訴える社説を掲載したということです。

これは8月17日の産経ニュースで報じられました。

この一斉社説掲載はボストン・グローブ紙がアメリカ全土の新聞社に呼び掛けて実現したもので、各紙はそれぞれの表現方法をもって、共通して報道に自由の必要性を主張したということです。

ニューヨーク・タイムズ紙の社説では、

 

「謝った報道を正すことはわれわれの仕事の核心部分にある。

 ただ、気に食わない真実をフェイクニュースと主張し、記者を国民の敵と咎めるのは民主主義にとって危険だ」

 

と批判し、併せて約70紙の主張も抜粋して紹介したということです。

 

フェイクニュースとはなんなのか。

一言で言ってしまえば、それはデマ。

真実に基づかない虚偽の情報をニュースとして、発信すること。

それにより、発信者の都合の良いように情報を操作を仕掛け、世論を操る。

インターネットがここまで普及する前、ニュースと言えば、テレビ、新聞、ラジオくらいのものでした。

その為、僕らはそのニュースを真実であると受け取ってきました。

しかし、実は100%そうではなかった。

実はマスコミの流すニュースには虚偽の情報もあった。

インターネットが普及し、誰もが発信者になるとことが出来る世の中。

今や、Twitterなどを使えば、誰もが手軽に世の中に向けて情報を発信できます。

 

そういった中で、これまで騙せていた人々を簡単に騙せなくなった。

人々が情報を得る先はもうマスメディアだけではなくなりました。

インターネット上のニュースサイトもあれば、大型掲示板のまとめサイト、個人のブログ、TwitterInstagram、様々な場所から情報を得る。

そうすると、なんかおかしいなということに気付く。

今までは疑いもしなかったけれども、「これ、本当なのかな」と思い始める。

 

半信半疑という言葉があります。

半分は信じているが、半分が疑っている状態。

報道の受け手としては、それくらいがちょうど良いのかもしれません。

全てを鵜呑みに出来るほど、世の中は真実で溢れていない。

そう思います。

 

それは、過去の珊瑚のKY事件や、慰安婦報道による国際問題化を見ても明らかですし、過去朝日新聞ではこんなデタラメ記事を掲載したこともありました。

 

それは、1989年、消費税3%が導入された時に掲載された記事。

それは、広島にある中華料理店がずっと1杯100円で売ってきたラーメンを、この消費税導入で3円を値上げするべきかどうかで頭を悩ましているという内容でした。

すると、読者から「百円ラーメンを応援したい」という寄付の申し入れが殺到したそうです。

そこで朝日新聞の支局長が記者を呼んで、この「百円ラーメン」屋さんについて話を聞いたところ、実は「そんなラーメン屋さんは存在しない」ということでした。

ご丁寧に記者が「ラーメン百円」という看板を手作りして外観写真を撮って記事を捏造したという話です。

 

ネタがない、ネタがない、何かいいネタはないか。

そうやって捏造されてきたニュースはきっと山のようにあるのでしょう。

新聞記者も報道記者も仕事。どういったノルマがあるのかは知りませんが、ネタがないから記事はありませんというわけにはいかないでしょう。

報道の自由報道の自由という言葉を最近よく耳にします。

それは本当に報道と言えるものでしょうか。

 

「メディアは権力を監視し、人々に伝える責務がある」

 

報道の自由を訴えるメディアは必ずそう口にします。

それはそうかもしれません。

しかし、メディアは批判するばかりで、批判を受けた場合にはろくな対応をしていないようにも思います。

メディアは監視者かもれません。

しかし、メディアもまた人々によって監視されている。

フェイクニュース偏向報道が目立つメディアは人々の敵と言われても致し方ないように思います。

何故自分たちだけが安全地帯にいると思えるのか。

言葉を発するということは、それだけの責任を持たなければならない。

捏造、誤報をしたときは訂正をしなければならない。

批判することは問題ありません。

しかし、捏造による情報操作と印象操作はどうしても許すことが出来ません。

 

真実は1つ。

しかし、その真実を正しく知る人はどれだけいるのか。

そして、その真実はどれだけ正しく伝わっているのか。

正直分かりません。

だからこそ、ひとつの情報源だけでなく、複数の情報による確認をしなければならないのでしょう。

半信半疑でいなければならないのでしょう。

それはとても疲れますけども、、、

 

それではまた。

 

 

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大統領や首相がTwitterで直接コメントを流すというのも凄い時代になったものですね。。。

テレビも見て、新聞も読んで、ネットニュースも見て、SNSも見て、、、とやってると正直いくら時間があっても足りない、、、

けれども、真実を知るというのはそういうことなのかもしれないなぁ、、、