喧嘩は一人では出来ない。
相手がその気にならなければ喧嘩にはならない。
こんばんは。
11月26日、今年3度目となる韓国の国会議員の竹島上陸が行われました。
上陸したのはセヌリ党のナ・ギョンウォン議員ら与野党議員8名とその他26名の「独島訪問団」。
前回、2016年8月15日に上陸した際に竹島内の韓国警備隊の宿舎やヘリポートに改修すべき点が見つかり、約1年かけ改修工事を行い、それがこのほど完了した為、完了確認的な意味で上陸したと言われています。
日本円にして約2億7100万円の費用を掛けた改修工事。
普通に考えれば、それなりの費用を掛けたわけですから施主として確認するのは当たり前かもしれません。
しかし、場所は国際的に揉めている場所。
このほど、徴用工裁判やアイドルによる原爆Tシャツにより、世論的にあまり友好な関係性でないとも言える関係の相手を挑発するような立ち振る舞い。
正直、他国に対して喧嘩腰過ぎないかと思わずにはいられません。
竹島。
そもそも、それはどこにあるのか。
地理的には日本の島根県から北側、韓国から西側に大体同じくらい離れたところにある島です。
環境的には人には住みにくい場所の為、無人島であったそうですが、1952年以降、韓国が占領し、今もなお、それは続いています。
第二次世界大戦後、日本は敗戦し、アメリカを中心とする連合国軍最高司令官総司令部、いわゆるGHQに一時的に占領されました。
その際に、日本の領域についても、一時的にGHQによる制定がなされました。
それはGHQの文書、SCAPIN第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって定められました。
つまり、日本の領域の設定をした覚書です。
この覚書によれば、竹島は日本の領土ではないとされています。
Japanese vessels or personnel thereof will not approach closer than twelve 12 miles to Takeshima (37°15' North Latitude, 131°53' East Longitude) nor have any contact with said island.
『日本の船またはその人員は、竹島(北緯37°15′、東経131°53′)へ12マイルより近くに接近しない、またその島とのいかなる接触もしない。』
これはマッカーサー・ラインと呼ばれるものです。
しかし、その後、1952年に発効されたサンフランシスコ平和条約ではこのラインは廃止されました。
日本の立場としては竹島は日本の領土としています。
しかし、韓国は一時的にひかれたマッカーサー・ラインを模倣した「海洋主権宣言に基づく漁船立入禁止線(李承晩ライン)」を一方的に設定し、竹島を韓国領として韓国側水域に含めました。
その後、韓国は竹島内に軍隊を配置し、近寄る日本漁船を拿捕し、44名を死傷させてと言われています。
それは1965年の日韓基本条約締結まで続きました。
日韓基本条約により、李承晩ラインは廃止され、竹島は両国で日本の領土と確認されたと思われましたが、いまだに韓国による実効支配は続いております。
これに対し、日本は平和的な解決を求め、国際司法裁判所に判断を委ねる提案を何度もしていますが、それに韓国は応じない状況です。
現在、韓国は国際法上は何の根拠もないまま竹島に警備隊を常駐させ、宿舎を改修し、確認研修上陸を行っているという状況です。
その土地は誰のものなのか。
それは決まっているものではありません。
動物は自分の縄張りをマーキングなどで主張しますが、それは土地の所有とは違います。
人間だけが土地を所有し、その権利を主張します。
その根拠となるのは契約です。
つまり、約束事。
本来、土地は誰のものでもない。
最初の最初を考えれば、最初にそこに住んでいた人が、その権利を主張し、隣人と認め合い、その土地の権利が認められたに過ぎません。
「この杭からこの杭までのラインが僕の土地とあなたの土地の境界線ね」
「うん、いいよ」
「うむ、いいだろう」
当事者と国が認め合い、その権利は認められます。
しかし、それは踏み躙ろうと思えば、いくらでも踏み躙れる。
隣人の言葉に耳を貸さず、一方的に主張し、一方的に占拠する。
戦国時代の拠点と一緒です。
攻めて追い出せば自分の領土となる。
それには契約も何もありません。
暴力による一方的な主張です。
契約を行う。規律を作る。約束を守る
それは動物には出来ない、人だけが出来ることでしょう。
それ故に、それを反故にするものは裁かれなければならない。
そうしなければ、社会が乱れてしまう。
突然「僕は赤信号は進めで青信号は止まれにする」と言い出しても、それは認められるものではありません。
その為に国があり、法律があり、条例があり、役所があり、警察がいる。
折り合いをつけて、物事をはっきりさせる。
当事者だけでなく、第三者を交えて議論を行う。
人には言葉あるのだから。
それを持って解決が出来るのだから、出来る限りそれを行うべきなのでしょう。
隣国と不仲。
その原因はどこにあるのか。
経済の話をすれば、とある韓国の企業は世界でのシェアが20%弱あるに対し、日本でのシェアが数%しかないと、販路拡大の為に様々な広告を企画したり、ルートを構築したりと躍起になっています。
しかし、その反面、日本を見下した発言や敵視した発言も多く見られます。
仕事は仕事。嫌いでも物は売る。
そういうことなのでしょうか。
でも、そんなスタンスで、果たしてその商品を買いたいと思うでしょうか。
日本国内でのシェアを伸ばしたいのであれば、そういったメンタルの面も重要なのではないかと、そう感じずにはいられません。
何故、嫌いなのか。
日本は韓国に何かしたのか。
国を作り、言葉を作り、治水を行い、技術を指南してきた。
歴史を紐解けば、そのような姿が見えてきます。
戦争したわけでもなく、占領したわけでもない。
それなのに、第二次世界大戦時に占拠した東南アジアの国々は日本に理解を示し、ともにあったはずの韓国は理解を示さない。
この根底にあるのはいったい何なのか。
それが分からない限り、いつまでも不仲であるんだろうなと、そう感じるばかりです。
それではまた。
/ ブ ロ グ ラ ン キ ン グ 参 加 中 で す \
\ 応 援 よ ろ し く お 願 い 致 し ま す /
好きになるのに理由はいらないが、嫌いになるのは必ず理由がある。